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手のひらサイズの意識から 《成人発達障害》

H23.7月に特定不能の広汎性発達障害「PDD-nos」と診断を受けた、ふっとんの空回りブログ。
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家族歴と生育歴

案の定、発達障害を専門に診ている紹介された病院(L病院としておきます)の予約を取るのには苦労しました。

結局、紹介状を書いてもらってからL病院の初診まで4〜5ヵ月間ほど掛かり、
まだかまだかと焦れる日々を送りました。

それとも、この程度の待ち時間で済んだことは、「早くて助かった」と喜ぶべきなのでしょうか。



さて、やっと辿り着きました。

それではまずL病院での診断までの流れを簡単に記しておきます。

1)発達障害についての検査概要説明と問診

2)家族歴・生育歴の確認(母子手帳、小中学校の通信簿持参)

3)脳波検査とその結果説明

4)知能検査(WAIS−3)とその結果説明

5)頭部SPECT検査・MRI検査とその結果説明

6)総合的な結果説明と診断


インターネットや本に書いてあった、発達障害の主な診療の流れとほぼ同じ内容でした。
検査内容が病院によっててんでバラバラだったら困りますけどね。


1)は飛ばしまして、2)から話を進めたいと思います。


2)家族歴・生育歴について

私は現在親元から離れて住んでおりますので、週末一度実家に帰り、両親から昔のことを色々と聞く必要がありました。ですがその前に、両親に発達障害の検査を受けるということを、こちらから話をしなければなりません。
この段階で少しつまづく方もいらっしゃるようです。これは想像力の乏しい私でも想像がつきます。

ただ私の場合は、もともと脳波異常があったことや、転職を繰り返したこれまでの経緯についてはすでに両親に伝えてありましたので、「発達障害の疑いがある」ということを説明した時に驚いた反応はなく、質問にも簡単に応じてくれました。


あまり家族の詳細には触れませんが、以下まとめてみました。

・母子手帳は見当たらなかったが、両親の話では出生時や3ヵ月検診では特に問題は無かった。

・弟は私に似て、のんびりしてボーっとしたところがあるが、私以外の家族の発達障害の可能性は高いとは言えず、現在のところ不明である。

・幼い頃からひとりで遊ぶことが多く友達は少ない方だった。

・4〜5歳の頃、数字に対する興味が強く、ひたすら数字を書いていた。

・小中学校の頃、授業の内容は理解できたが、先生や同学年の子の話を理解できないことがよくあった。

・興味があることについては集中力が特に高かったが、興味の無いことにはその反対で極端だった。

・日常的に落ち着きがないということはなく、多動性は見られなかった。

・小学生の頃からよく周囲から「変わり者」と言われていた。


こんなところでしょうか。
今後、このブログで「幼い頃、こんなことがあった」といかにもそれっぽいエピソードを書くかもしれません。

ということで、私は概ね上記のような人間でした☆今もあまり変わっていないみたいですが。。。
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【 2011/10/28 (Fri) 】 診断までの経緯 | TB(0) | CM(0)

#6 紹介状

満員電車を苦痛に感じていた私は、翌年、ハローワークで家から近い勤務先を探し再就職しました。

面接の際に、脳機能に問題があることを事前に伝えましたが、
温かく受け入れていただいて現在も感謝しています。



この年(H22年)から総合病院にはほとんど足を運ばなくなりました。
職場の近くの精神科クリニックでこれまでの経緯を説明し、今までと同じ薬を処方してもらうことにしたのです。


そのクリニックでADHDを含む発達障害について話を聞いてみたかったのですが、どう切り出したらよいものだろうか。
私はこの時悩んでいました。


「私はADHDのような発達障害ですか?」と普通に聞けば良いようにも思いますが、
私は自分自身をあまり信用していませんでした。

どういうことかと言いますと、ADHDなどの発達障害についての知識もついていたので、

「発達障害と診断を確定してもらいたいがために、自ら意図的に発達障害寄りに症状を伝えてしまわないだろうか。」

という心配を抱いていたのです。

自分は本当は発達障害ではないかもしれないのに、私の説明によって仮に「誤って」発達障害と診断されたとしたら、内心落ち着くかもしれないけれど、その後症状の改善に繋がらない治療がなされるかもしれない。
それだけは何としても避けなければならない。



自分が「発達障害に違いない」と思い込んでいるだけではないだろうか。
着地地点が一向に定まらず、不安だらけの状態から脱したいから、
とにかく早く脱したいから、そう思い込みたいだけなのではないだろうか。

多かれ少なかれ、「自分は大人の発達障害かもしれない」とうすうす気付かれた方は、このようなことを感じたことがあるのではないでしょうか。



結局、何も決められないまま、毎月クリニックへ通いました。
医師にはありのままの症状を(自分自身で何度も確認しながら)、その都度聞いてもらいました。


すると幸運にも(?)早い段階で医師の方から、発達障害について話を切り出されました。
「これは発達の問題なのかもしれないよ。ADHDって聞いたことないかな?」
医師はひと通り説明をした後、このように続けました。
「発達障害をメインに診ている病院があるから紹介状を出しましょうか。一度診てもらったほうがいいと思うんだけどどうする?もちろん答えるのはゆっくり考えてもらってからでいいけど。」

私は、一息ついてから
「ぜひ紹介状をお願いします。」
と内心興奮しながら答えました。

それに対し医師はひとつの問題点を挙げました。
「ただね、予約が極めて取りにくいんだよ。まだまだ都内でも専門の病院が少なくて。私もいろいろ調べてみたんだけど、病院によっては診察に1年待ちとかしなければならない。そんな状況なんだ。」



私はそれでも構いませんでした。何しろこちらはすでに5年近く待っているようなものでしたから。
【 2011/10/23 (Sun) 】 診断までの経緯 | TB(0) | CM(0)

#5 共通点

インターネットでADHD(注意欠陥多動性障害)を調べてみると、
その対象は子どもだけでなく大人もしっかり含まれていました。


そして、驚くべきはその症状。
私の問題となっている様々な特徴がPCの画面上にずらりと並ぶ。


物忘れ、不注意、仕事の先延ばしや計画性の無さ、低い自尊心、整理整頓が苦手、低いストレス耐性、物事にこだわる傾向・・・。




似ている。あまりに似通っている。



その後数日間で、本屋を巡り関連の書籍を何冊か探して読み、ほぼ同様のことが書いてあることを確認しました。


ADHDの中でも多動・衝動性があまりないものをADD(注意欠陥障害)と呼ぶようで、
私はきっとADDに該当する。


不思議なことに病院ではそのようなことを指摘されたことはありませんでしたが、


「かなり近付いている」


私は手ごたえを感じていました。
【 2011/10/19 (Wed) 】 診断までの経緯 | TB(0) | CM(0)

#4 ADHD

H20.9月に起きたリーマンショックは、私のいた会社にもじわじわと悪影響を及ぼしました。

翌年になると、毎月のように従業員が退職を余儀なくされ、会社内には何とも言いようのない重苦しい空気が流れていました。

焦りからか体調がすぐれない中、無理をして出社し、倒れて入院してしまう社員もいました。

社長から「私にも責任はあるが、お前はみんなのサポートをしなければならない立場なのに、それが全く出来ていない。」と叱責を受け、私も責任を強く感じました。
同時につくづく感じていた無力感は頂点に達し、
私はこの先みなさんに迷惑を掛け続けるくらいならと、社長に辞意を伝えました。

正直に言うと私自身がこの職を続けることに耐え切れなかったのです。


それから半年間は、私は会社へ通うことにしました。
本当はすぐにでもその場を去りたかったのですが、会社が苦しい時期にせめて引継ぎを完全に終えてからでないと、あまりにも無責任だと感じたからです。

すると、まさにそのさなかでした。

後に私が発達障害との診断を受けることになるきっかけに遭遇したのです。


この頃、同じ事務所内に勤めていた関連会社の社員Aさんが、精神的な問題から会社を休みがちになっていました。
ある日同僚のひとりが、
「Aは時間やお金の管理、また整理整頓がまるでなっていない。一度Aの家に行ったけど物が散らかり放題で、掃除を手伝うのに丸一日かかったよ。」
と苦笑いを浮かべていました。

「Aには一度病院に行くことを勧めた。ADHDかも知れない。」
とても聡明で優しいその同僚は、少し神妙な顔つきに表情を変えながらそのように続けました。


ADHD?

こどもの頃に落ち着きがなくてつい動き回ってしまうという病気?

恥ずかしいことに、当時の私はADHDについてそのように理解をしていました。
【 2011/10/16 (Sun) 】 診断までの経緯 | TB(0) | CM(0)